走ることの持つ意味

 東名高速を走っていると、ポツッと頬を水滴が打った。

 西に見えていた入道雲がいつの間にか黒い雲となって上空に広がり、雨脚はみるみる強まっていく。追い越し車線を走っていた俺は左端に寄り、陸橋の下でバイクを止めた。それを待ちかねたようにザーッと土砂降り。その様をバイクの脇でぼんやり眺めていた。それほど濡れずに済んだのはラッキーだ。

中央分離帯を挟んだ対向車線の路肩にホンダが滑り込んでくる。数分の違いで彼は俺よりひどく濡れただろう。日本各地で頻繁に起こる不安定な大気による集中豪雨は、地球温暖化とやらの影響なのだろうか。

 本当は朝一で出発しているはずだったのだ。しかし前日にどうしても動かせない用事が出来て、家を出たのは午後2時。早朝から走りたかったイズミは不満げで(当たり前だ)、9時にラインが来た。

「1時ごろから完璧に降るぜ今日」

 天気予報をチェック。川崎、伊豆ともに雨マークはない。

「大丈夫だろ、こっちは日が照って来たし」

「じゃあ待ってる」

 しかしイズミの予報は的中した。久しぶりに走るブラザーを待たせてバチが当たったということか。写真を撮ってラインで送る。

「ちょっと待つ@海老名。フロントフェンダーってのはすばらしいもんだな」

「人類の3大発明のいっこ」

「そっち降ってる?」

「ここだけ降ってない」

 しばらく待つと雨脚が弱まり、走り出す。路面は水浸しだからこれまでのチョッパーならずぶ濡れだけど、今の俺にはフロントフェンダーという文明の利器がある。5分も走るとうっすら陽が差し始め、海老名ジャンクションから圏央道を南に折れると路面はドライ。10分早く出ていれば濡れずに済んだはず。やっぱり罰だ。

 久しぶりのホットバイクの〆切が近づく折、企画はもうほぼ決まっているというのに、どこか納得できない自分がいた。何か足りない、それが何かは分かっていた。イズミとどこかへ走りに行こうと思っていたのに、ずるずると後回しになり実現していない。

 たまったネタがたっぷりあって、ページは埋まっている。カスタムも、ビンティッジも、最新モデルも最高。でも、オートバイの真髄は旅すること。それはホットバイクの根底でもある。やはり再開号として、走ることの持つ意味を改めて語りたかった。

「一泊でさ、どこか行こうぜ。昼に出て翌日昼に帰る」

「行こう行こう。でもやっぱり出るのは朝早くだろ」

 確かに。早朝の方が“ツーリング感”は盛り上がる。その場で「じゃあ朝イチで行くよ」と答えたものの、結局は前述の通り。

 この記事を書き進めるにあたって、まずはバイクについての話をしなくては。フェイスブックでつながっている人たちは事情を知っているだろう、俺はパンチョッパーを手放したのだ。世のバイク乗りが愛車を手放す理由は大方ふたつ。ひとつは次のバイクに乗り換えるため、もうひとつは金。ぶっちゃけ俺は後者だ。

 これまでホットバイクを販売していたバイクブロス社が3月に廃業し、本を続けるにはそれなりに大きな資金が必要な状況に陥った。編集製作費はもちろん、大きいのは印刷代。出版業というのは面倒くさいルールでがんじがらめに縛られていて、発売した本の売り上げが現金化するのは半年以上先。つまり芳醇な資金なしに本を出版するのは難しく、当然俺にそんなものはない。俺様のチョッパーはその一部となってくれたというワケだ。

 すんなり決断したわけではない。しばらくウジウジと悩んだ挙句、どうせならフェイスブックで事情を公開して誰かに買ってもらおうと考えた。知り合いの店とかヤフオクとかで売ってもいいが、「イケダが愛車を売ったらしい」なんて噂がめぐるくらいなら、堂々と欲しい人のところに行くのがいい。こう決断したらなんだかすごくすっきりした。そういえば、ホットバイクや旅学を作る俺をいつだって応援してくれたゴローさんは、いつかこんなことを言っていた。

「イケちゃんは素晴らしいものを作ってるよ。自分の生き方をみんなに知ってもらうんだ、素晴しいよ」。

 そう、これまでも俺はそうしてきたし、だったらこの窮状もありのまま知ってもらえばいい。

数日で“いいね!”が500を超えた。中には“悲しいね”マークも多く、「悲しいねよりウケるねをポチしていただくと喜びます~」とコメントしたら、みんながそうしてくれた。沢山のコメントと共にダイレクトメッセージで10人ほどの人が買いたいと申し出てくれて大いに恐縮したのだが、悩んだ末、その中のひとりだった本誌でもおなじみのミュージシャン、ガッツのもとにドナドナすることに決めた。どの人の手に渡っても可愛がられることは間違いないだろう。でも古い友人が乗ってくれるのがすごくうれしかった。買いたいと言ってくれたみんな、本当にありがとう。

バイクを見に来たガッツが試乗する姿は実に似合っていて、早くも新しいオーナーの風格が漂っていたと言っていい。

「軽いねぇ、すごく乗りやすい。今乗ってるWLをスパイスの仲間が買ってくれそうだから、近々取りに来るよ。ちなみにスポーツスターのチョッパーもあるんだけど、しばらく預かっててくれない? ボロいけどすごく楽しいよ」

 うれしい申し出だが、そのEVOスポは過激なスタイルに派手なカラーリング。俺にはちょっと若すぎる気がして「ありがとう、検討する」と返事した。

 10日ほどしてスパイスのバンでガッツがやって来た。店の若い子がリアゲートを開けてスロープをセットし、慣れた手つきで荷台にチョッパーを積み込む。それじゃ、と去っていくバンを見えなくなるまで見送った。ドナドナ。でも寂しさみたいな感情は意外なほど湧いてこなかった。

 しかし数日後、なんとなく喪失感というか、物足りなさみたいなものを感じている俺がいた。これは愛するチョッパーを失った寂しさではない。じゃあなんだ? そうか、乗るバイクがないんだ。日常の足はピアッジオのモペットで十分だが、バイクがない。そういえば18で400ccを手に入れて以来、自分の暮らしにバイクがないのは40年ぶり。そうか、そういうことか。俺はその場で「例のバイク、預からせてくれよ」とガッツに電話した。

イズミの今の愛車もEVOスポーツ。そのいきさつも説明しておく必要があるだろう。

今は湘南茅ケ崎に住むイズミだが、今年初めにやんごとない事情で3か月ほどアメリカに戻ることになった。その資金をショベルを売って捻出して旅立ったイズミとは時折ラインでやり取りしていたが、ある日を境にぱったりと連絡がつかなくなった。一か月ほどしてようやく再開したやり取りは次の通り。

「毒グモに刺されて死にそうになって救急車でICUに担ぎ込まれた」

「マジかよ」

「マジ。ブラックウイドーってやつ。こっちは結構刺されて死ぬ」

 どうやらジョークじゃないらしい。ODを隠すためのウソなんじゃないかとも思ったが、考えてみればイズミがODするワケ、ないよなぁ。

 さらに悪いことに3か月以上の滞在の場合旅行者保険に加入できずに無保険だから、退院時に莫大な金額を請求され、俺が出会った頃から乗っていた65パンも手放す羽目になったのだった。そしてラバーマウントにインジェクション、格安の黒いEVOスポーツを手に入れた。イズミは言う。

バイクなんて、なんでもいいんだよ。

まったくだ、と俺も思う。こんなことを言うとむかつく人もいるだろうし、「強がり言って」と笑う人もいるだろう。俺のパンよりはるかに長く付き合った65を手放すのに、イズミがなにがしかの痛みを感じないはずはない。俺にしたところで同じ。でも、そのうえで思う。なんでもいいんだよ。なにより大切なのは2つの車輪の間でエンジンの上に跨って、鼓動を感じ、風を切ること。それができるなら何でもいい。この感覚は分かる人は分かってくれるし、分からない人には説明してもたぶん伝わらない。そうして茅ヶ崎のイズミの店の前に並んだ2台のスポーツスターを眺めながら俺は言った。

「どうなんだろうね、コレって」

「スポーツスター、最高だよな」

「確かに。でもどーなのよ、コレって格下げか?」

「違う違う。俺はこれからこのノリを広げていくんだ。こんなにカッコよく乗れるんだぜってね。安くてカッコいい、新しいクラスだぜ」

「格下げクラス?」

「まあ、確かにな。そうとも言う」

 二人で大笑いしながらエンジンに火を入れた。キュルキュルズドン、もちろんセルで。

 小学生になったふたごの夏休みが終わった日のこと。オフィスから家に戻る夕暮れ時に、信号待ちのバイクの上で俺は気がついた。

 夏が終わってる。

 日中は30度を優に超えているし、歩けば汗が流れるが、そこにはかすかに、しかし明確な秋の気配が潜んでいた。バイク乗りは一足先に季節を感じ取る。残暑はしばらく続くだろうが、記録的な猛暑(毎年言ってるよな)はもう終わり。盛夏から晩夏へ。恨めしいほどの暑さだったにもかかわらず、それに一抹の寂しさを感じる俺がいた。

 しかしこの日。家を出て東名雨宿りを経て圏央道を経由し、終点の茅ケ崎中央インターで高速を降りて136号を走り出した瞬間、驚いた。そこは夏だった。風に混じる潮の香も影響しているだろうが、湘南には自宅のある川崎の山の手よりもはるかに色濃く夏が残っている。この瞬間に俺は日常から解き放たれ、ようやく旅が始まった。明日の昼過ぎまでほんのつかの間、旅の人。

 136号を南に向けて、2台のスポーツスターが並んで大きくアクセルを開ける。連続する二つの排気音が折り重なって轟く様は、どれほど繰り返しても絶対に飽きることがない。イズミの白いタンクトップが視界の片隅で光を放つ。西湘バイパスを経由し135号を南へ。シートに腰を下ろして右に左にリーンし、ただアクセルを開け続ける喜びを味わいながら。

 1986年に初めてのハーレーとして手に入れて以来、(今は置物と化したレーサーだが)スポーツスターはいつだって俺の元にある。本当に良いバイクだ、シンプルで、細く軽く、パワーも味わいも必要にして十分。ガッツが貸してくれたチョッパーはヘッドポストをカチあげた過激なスタイルにも拘わらず素直なハンドリングはほとんど損なわれておらず、フラットスライドのミクニでパワーは体感3割増し。唯一の不満は右コーナーでマフラーがすぐにズリズリと擦ってしまうことくらいか。街乗りの楽しさは文句なし。しかしこうして旅していると、ビッグツインとの違いを感じることになった。

 信号のほとんどない道を走り続けていても、つい無意識にスロットルのオンオフを繰り返してしまう。言い換えれば、アクセルを固定したパーシャルで走る楽しさはビッグツインには劣る。パンに較べストロークが短い分だけ爆発の間隔が短く、滑らかに連続してしまうのだ。ドンドンドンッというよりドドドドドッ。もちろんこれはスポーツバイクであるスポーツスターの特性であって、スロットルをオンオフしながらコーナーを攻めればこの上なく気持ちいいのだが。などと言いながら、こうして走っていることが楽しくて仕方ない。いずれにしろ、借りものに対してなんだかんだと批評していたら罰が当たるというハナシ。

「なんかチカチカ赤いのがついてるぜ」と信号待ちで何度もイズミに言われた。なんか気になってムカついてくるんだよな。

「ああ、それはウインカーってやつですね。なにせウインカーがついてるバイク、25年ぶりなもんで」

 たまの信号待ちの度にバカ話で笑い合い、クラッチをつないでスロットルを開ける。この幸せな時間よ、いつまでも続け。

続きはHBJ166にて

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