THE IMPRESSION/1948WR750
フェイスブックでフラットトラックパーティーの告知を見つけた。
ホットドック河北御大を始め、埼玉・川越でフラットトラックが盛り上がっているのは知っていた。ロッドショーでもブースを構えた、中華カブエンジを搭載の自作マシンで遊ぶチーム“”ハブファン ” はすごく楽しそう。オイラもそのうち、などと思いながらもなかなか重い腰が上がらなかった。そうだ、あのマシンをこのイベントで走らせよう。そう思い立った俺は大阪船場の学さんにその場で電話した。
あのマシン、とはWR。1929年から73年まで生産されたサイドバルブ750をベースとし、41年から51年の11年間H-Dファクトリーからデリバリーされた純レーシングモデルである。
今年船場に入荷したWR750は、アル・ナップが走らせていたバイク。アルは1947年から62年までプロとしてAMAに参戦し、数々の栄冠を手にした人物で、プロレースを引退後はAHRMAのクラシックレースに舞台を移し、ロード/ダートのいずれの舞台でも26のゼッケンを纏い、トップライダーとして長年に渡って暴れまくったアメリカン・レジェンドである。
かつて俺がデイトナに通っていた頃も、スピードウエイを疾走する#26アル・ナップの姿を毎年目にしたものだった。ちなみにアルは2000年、77歳でクラスCハンドシフトチャンピオンを獲得。2013年5月13日に90歳で亡くなっている。
そんなアル・ナップのマシンを恐れ多くも走らせてしまおうという申し出に、学さんは二つ返事で快諾。編集部にはレーシングオレンジのお宝が運ばれてきた。
アル・ナップのWRとしばし同居というシアワセの日々。ロッドショーのホットバイクブースでも展示して、翌々火曜、いざ埼玉・川越のモトクロスビレッジに向けて出発した。実は月曜はコース整備&自由走行日だったのだが、あいにくの雨。事前に練習して本番へという目論見は外れたものの、まぁ仕方ない。
俺はかつて、FTR250でダートラを熱心に走った時期がある。手前みそながら当時はなかなか上手く、1年ほど熱心に練習に通ったものの、ある日インフィールドとの境界の盛り土に足を取られて左足をポキッと骨折(ちなみに一人だったからバイクをハイエースに積んでもらって、埼玉・桶川から片足運転して帰宅。そのまま救急病院へ直行した)。それでイッキに熱が冷めてしまった。これが20年近く前の出来事、つまりダートラを走るのは20年ぶりということだ。だから前日に走っておきたかったのだけれど。それでよくアル・ナップのWRを走らせようなどと思ったね、などという意見は置いといて。
朝7時にモトクロスビレッジ着。前日の大雨でまだあちこちがぬかるんでおり、整備車両がコースを走り続けている。オーバルは1周200ートルバイクの超コンパクトサイズ。パーキングにバイクを下ろしてしげしげと眺めていると、ハブファンメンバーのシェイキンがやって来てテントを張りピットを作ってくれた。
エンジンをかけてみよう。
フューエルコックとオイルコックをオン。何度かキックを踏んでみても、火が入る気配がない。学さんに支持された通り、エアクリーナーを外しエアインテークを手のひらで塞いでキックを数回。生ガスを呼び込みそのまま手を放して踏み込むと、ドドドンッとエンジンに火が入った。響き渡る、やわらかな爆音。
前後のエキゾーストパイプが集合してからエンドまでが30センチほどしかないストレートパイプゆえ音量は大きいが、ハイコンプとはいえ構造上そもそもが低圧縮ゆえ音質はマイルド。なんともいえないレーシングノートだ。いてもたってもいられなくなり、エンジンを止めてエアクリーナーを装着。再び火を入れてしばらくオイルをあたため、20年ぶりの鉄スリッパを履いてサブトラックに向かった。ちなみに前後ノーブレーキのスーサイド。通常ダートラマシンはリアブレーキを装備するが、前後ノーブレーキはスピードウエイと呼ばれている。
それなりに乾いた部分でスロットルを開けてみる。ダンダンダンっと弾ける加速。オオッ、けっこうパワフルだぞ。そのまま100メートルほどのサークルを何周かまわり、少しずつアクセル開度を上げていく。コーナー立ち上がりでズズッとリアがスライドする感触。前方に出した左足をスリッパが地面を擦っていく感覚。久々のダートラ感にテンションが上がる。子供の頃に学校のグランドで、自転車のリアブレーキを思いっきり握ってリアを滑らせて遊んだことを思い出した。ノーブレーキも全然気にならないゾ。
ライダーズミーティングでコースの説明を受け、30分ほど遅れて本コースのプラクティスが始まった。俺が走るのはGクラス。ホットドック河北さんと長田モータースの長田社長、3人だけの特別枠、爺さんのGということだろう。 河北さんと長田さんは20年前に一緒に練習していたメンバーで、俺と河北さんは途中で挫折したものの、長田さんはそのまま練習を続けて全日本選手権まで参戦。御年79歳の大先輩である。1984年に筑波サーキットで始まったバトルオブツインにも第一回から参戦し、いまだスポーツ走行に出掛ける長田さんは、まさに日本のアル・ナップだ。
「まだコースが荒れているから、しばらく様子を見てのんびりやろうね」と河北さんはいうが、俺はいてもたってもいられずセパレートの革ツナギのパンツに履き替え、再びサブトラックへ。だいぶ乾いた路面でぐるぐると練習を繰り返す。スライドする感覚に慣れながら、だいぶアクセルを開けられるようになってきた。ピットに戻ると腕がもうパンパン。不必要な力が入りまくっているせいだ。
そしていよいよ本コースへ。様子を見ながらできる限りスロットルを開けていく。思いのほかグリップが良く、スライドさせようと思っても上手くいかない。しかもしばらくすると左足がつかれて前に出せなくなってしまった。無理やり前に出しても路面の凹凸に押されて簡単に弾かれてしまう。これでは攻める云々以前の問題。KTMを駆る御年79の大先輩にも引き離され、走りより肉体の衰え(というか運動不足)を痛感してすごすごとコースアウトした。ピットに戻ると左の太ももがピクピクしてる。サブトラックで走り込み過ぎたかな、と悔やんでも後の祭り。情けないなぁ。
昼休みに参加者全員の記念撮影の後、デモ走行タイム。そこで二人のベテランライダー、バディの福田君、チップの吉田君にWRを走らせてもらった。
まずは福田君が走り出す。2周ほど様子を見た後、コーナーを攻め始めた。流れるようなスムーズさ、全開のエキゾーストノート。
これがWRか。アル・ナップのWR、その真の姿か。その光景に思わず鳥肌が立った。
続きはHBJ167にて!